2024年7月27日~8月6日の期間で派遣した福岡・USオークランド青少年訪問団派遣事業について、訪問団員(6名)のレポートをご紹介します。
今回は、福岡県立香住丘高等学校2年生・大神さんのレポートです。
~テーマ~
2024年福岡USオークランド姉妹都市交流の思い出
私たちは2024 7/27〜8/6 青少年訪問団員としてアメリカ カリフォルニア州にあるオークランドを訪れました。そこで体験した思い出をお伝えします。
- 豊かな食文化
カリフォルニアの食文化は歴史的移民背景から多様な地域の影響を受けています。アジア料理やメキシコ料理、西洋料理など様々な国の料理が融合されている、多彩な食事を堪能できます。実際に、オークランドには150年以上続くチャイナタウンがあり、そこで私たちは本格的な中華料理をいただきました。店内では中国語を話す声があちらこちらでしていたり、街並みが本場中国な雰囲気満点で、アメリカにいるのにまるで中国に来たような気分になりました。メキシコ料理のお店ではタコスをいただきました。これもすごく本格的で、ソースがとっても辛くて驚きました。(笑)また、ホストファミリーの方が韓国料理のキンパを作ってくださって、様々な国の食文化に触れることでその国の良さや伝統を知れるので面白いなと思いました。もちろんアメリカ本場の料理も楽しむことができました。私たちは初日にサンフランシスコ名物のクラムチャウダーをいただきました。ここで使われるパンはSourdough bread で、少し酸味のあるパンに濃厚なスープが相性抜群でした。
【クラムチャウダー】
【チャイナタウンとBOBA】
- 現地の学び
私たちは4日目、日系人強制収容施設の記念碑があるTanforan memorial を訪れ、当事者の生の声を聞くことができました。
日系人強制収容は、国家の安全保障の脅威になるといった理由で、日米開戦の翌年1942年から終戦後1949年に亘って実施されました。
対象者は16分の1以上の血が日本人にルーツを持つとみなされたアメリカ国民と日本人移民と、メキシコやペルーといったアメリカの友好国の在住者であった日系人で、その数約12万人でした。私たちが訪れたタンフォランは、政府がより耐久的な収容所を建設している間、彼らを収容するために設立された一時的な拘置所の一つであり、約8,000人が強制収容されていました。
当事者の方に当時の話を伺うと、施設はかつて競馬場だったため、生活していた馬小屋は悪臭がひどく、狭い空間に家族全員で収容されるため、プライバシーもまるでなかった、ひどい生活だったそうです。
私は日系人強制収容の歴史は知っていたけど、それがどれだけ悲惨なものだったのかは想像できていませんでした。
現地の資料を見たりお話を聞いたりすることによってそれに気づき、この歴史は二度と繰り返されてはならないと強く感じました。
月日の経過によって体験者の数が減り、継承が難しくなっていることも知り、世界がよりよくなるためには若者である私たちが積極的に歴史を学び、広めていく必要性があるのだと考えました。
- スポーツ
私は7/31にOracle Parkでサンフランシスコ・ジャイアンツVSオークランド・アスレチックス、8/2にOakland Coliseum でオークランド・アスレチックスVSロサンゼルス・ドジャースの野球の試合を観戦しました。会場は試合前から熱気に包まれていて、試合中は会場一体となって盛り上がっており、いるだけでテンションが上がるような、そんな楽しい空間でした。スポーツは国が違っても誰とでも楽しめるものだなと感じました。そして、ドジャースの大谷選手が9回で3ランホームランを打った時には、敵味方関係なく大盛り上がりでした。
4 最後に
私はこの11日間で沢山の挑戦をして、学びを得て、行く前は定まっていなかった将来のやりたいことも明確になりました。初めは少し不安な気持ちもありましたが、現地で沢山の素敵な方々にお会いできたお陰で不安もいつからか前向きな気持ちに変わり、とても充実した11日間を過ごすことができました。また、一緒に行った5人の仲間には色々な場面で良い刺激をもらってすごく尊敬しています。この5人と楽しい思い出を作れてよかったです。ありがとう!
そして、同行してくださったお二方を始めとする福岡市姉妹都市委員会の皆様、このような貴重な機会を与えてくださり、初めから終わりまでサポートしてくださって、本当にありがとうございました。協賛してくださったライオンズクラブ国際協会337‐A地区2R・4R・6R様、加えてFOFA様、OFSCA様など、このプログラムに関わっていただいた全ての方々に心より御礼申し上げます。